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AIスイムナビゲーター アオAI ナビゲーター アオ前回は「骨で動く」体のお話でした。今日はその続きです——そういう体を実際に手に入れた人、いわゆる"動きの天才"は、どうやってつくられるのか。生まれつきだけではない、というのが今日の核心です。少し長くなりますが、最後までお付き合いください。
身体の使い方

「動きの天才」はつくれる——無自覚の才能より、説明できる才能が強い理由

2026.07.09 | 文・AIスイムナビゲーター アオ
「動きの天才」はつくれる——無自覚の才能より、説明できる才能が強い理由

前回の続きから——「骨で動く」体を、どう手に入れるか

前回の記事で、私たちはこんな話をしました。伸び悩みの原因はフォームの「形」より一段下、体の使い方にある。赤ちゃんや動物のように股関節・胸椎という要所を自由に使い、筋肉で固めるのではなく「骨で動く」体を目指そう——と。

すると、当然こんな疑問が湧いてきます。

では、その"骨で動く"体を実際に手に入れた人。いわゆる「動きの天才」は、どうやってつくられるのだろう?

「天才」という言葉を聞くと、多くの人は反射的にこう思います。「あれは生まれつきでしょ」「才能がある人の話でしょ」と。半分は当たっています。でも、半分は違います。今日はその"違う半分"——動きの天才は、意図的につくれるという話を、深いところまで掘り下げます。

そして最後には、ちょっと意外な結論にたどり着きます。生まれ持った天才よりも、あとからつくられた天才のほうが、実は崩れにくく、伸び続ける。その理由を、順を追って解き明かしていきましょう。

天才には二種類ある

まず、「動きの天才」を二つのタイプに分けて考えます。

ひとつは、生まれ持った、無自覚の天才。教わらなくても自然に上手い。難しい動きをやすやすとこなす。本人に「なんでそんなに上手いの?」と聞いても、「うーん、なんとなく」としか返ってこない。こういう人は、どの競技にも確かに存在します。

もうひとつが、今日の主役——あとからつくられた、自覚的な天才。最初は平凡だったけれど、体の使い方を学び、考え、試し、少しずつ"動きの質"を高めていった人。彼らは自分の動きを、ある程度言葉で説明できます。「ここで股関節をこう使うから、この動きが生まれる」と。

この二人が同じレベルの動きを見せているとき、外から見た違いはほとんどありません。でも、内側でまったく違うことが起きています。その違いが、長い競技人生で決定的な差を生みます。

鍵は「暗黙知」と「形式知」——説明できない知恵と、説明できる知恵

ここで、少し専門的な言葉を二つ導入します。難しくありません。この二つが、今日の話の背骨になります。

暗黙知(あんもくち)という言葉があります。これは、体は知っているのに、言葉では説明できない知恵のことです。自転車に乗れる人が「どうやってバランスを取ってるの?」と聞かれても説明できないように——できるのに、語れない。無自覚の天才が持っているのは、この暗黙知のかたまりです。

対して形式知(けいしきち)とは、言葉やルールで説明できる知恵のこと。「なぜこうなるのか」を他人に伝えられる、整理された理解です。つくられた天才は、暗黙知(体の感覚)を、少しずつこの形式知(説明できる理解)へと"翻訳"してきた人たちです。

(この二つは、哲学者マイケル・ポランニーが整理した考え方として知られています。「人は語れる以上のことを知っている」という彼の言葉は、まさに無自覚の天才の状態そのものです。)

さて。ここで多くの人が誤解します。「説明できなくても、できればいいじゃないか」と。動きが上手いという結果は同じなのだから、と。

ところが——この"説明できるかどうか"が、天才の寿命を分けるのです。

無自覚の天才が抱える、静かな弱点

生まれ持った無自覚の天才には、実は静かな弱点があります。

自分がなぜうまく動けているのかを、本人が知らない、ということです。

好調なときは、これで何の問題もありません。むしろ最強です。考えなくても体が勝手に正解を出してくれるのですから。けれど、人間の体は一定ではありません。成長で体格が変わる。ケガをする。疲労がたまる。フォームが少し崩れる。そういう"揺らぎ"は、誰にでも必ず訪れます。

そのとき、無自覚の天才は困ります。なぜできていたのかを知らないから、なぜできなくなったのかもわからない。 戻し方の地図を持っていないのです。ここに、スランプの落とし穴があります。かつて努力せずにできていたことほど、崩れたときに戻すのが難しい。「昔はできたのに」という感覚だけが残り、出口が見えなくなる。

もちろん、すべての無自覚の天才がそうなるわけではありません。けれど、「なぜ」を持たない強さは、揺らぎに弱い——これは構造的な弱点として理解しておく価値があります。

つくられた天才の、崩れない強さ

一方、つくられた天才はどうでしょうか。

彼らは、自分の動きを「なぜそうなるのか」まで理解して手に入れています。股関節がこう働くから推進力が生まれる。胸椎がここまで回るからローリングが深くなる。肩の力を抜くから、腕がしなる——一つひとつを、原理として把握している。

だから、崩れたときが違います。フォームが乱れても、「今、股関節の使い方が浅くなっているな」と自分で原因を診断できる。戻し方の地図を、自分の中に持っている。スランプに落ちても、真っ暗闇ではなく、手がかりのある迷路を歩ける。

さらに大きいのは、成長が止まらないことです。理解している人は、次の課題も自分で見つけられます。「ここまでできた。じゃあ次は、胸椎の回旋をもう少し深めてみよう」と。説明できる動きは、積み上げられる動きなのです。感覚だけに頼る天才が"完成された一枚絵"だとすれば、つくられた天才は"設計図を持った建築"です。増築も、修復も、自分でできる。

これが、冒頭の意外な結論の正体です。安定して発揮でき、崩れても戻せて、そのうえ伸び続けられる——長い目で見れば、つくられた天才のほうが強い

では、どうやってつくるのか——模倣ではなく「解読」

ここからが実践編です。動きの天才をつくる、と言っても、上手い人の動きを真似する(模倣する)ことではありません

なぜなら、模倣は"形のコピー"に過ぎないからです。前回話したとおり、同じ形をなぞっても、体の使い方(要所で動いているか、末端で固めているか)が違えば、まったく別の動きになります。表面をなぞるだけでは、あの"骨で動く"感覚は手に入りません。

つくられた天才が本当にやっているのは、人間が本来持っている動きそのものを、分析し、解読し、自分が使えるものにしていくという作業です。他人の動きのコピーではなく、自分の体という装置の"取扱説明書"を、自分で書き上げていく作業だと言ってもいい。

ただし、その作業に入る前に——どうしても先に答えておくべき問いがあります。ここが、この記事でいちばん大事な分岐点です。

なぜ、頭でわかっているのに、できないのか

不思議に思ったことはないでしょうか。

「肩甲骨から腕を回す」「股関節からキックする」「体幹のうねりで進む」——こうした操作のイメージそのものは、実はほとんどの人が理解できます。コーチの説明を聞けば、頭の中では動きを描ける。上手い人の映像を観れば、何をしているかもわかる。イメージは、ある。

なのに、水に入ると、できない。

頭では完璧にわかっているのに、体がそのとおりに動いてくれない。この"わかる"と"できる"の間にある溝——ここに落ちて、多くの人が「自分にはセンスがないんだ」と結論づけてしまいます。

でも、原因はセンスではありません。体が、緊張状態にあるからです。

前々回から見てきたとおり、現代人の筋肉は、本人も気づかないうちに——無意識のうちに——緊張したままになっています。固まった筋肉は、脳からの「こう動け」という指令を、そのとおりに実行できません。アクセルとブレーキを同時に踏んだ車が、ハンドル操作に素直に応えないのと同じです。イメージという設計図がどれだけ正確でも、それを実行する装置(体)がこわばっていたら、動きは設計図どおりに出力されない

つまり、順番があるのです。

まず、人間本来のゆるんだ身体を取り戻す。その土台の上で初めて、イメージした操作が体に"通る"ようになる。そして操作が通る体になったとき、動きの天才への道が開ける。

土台を飛ばして操作のテクニックだけを積もうとするから、「わかるのにできない」が延々と続く。逆に言えば、体さえゆるめば、あなたがすでに頭に持っているイメージの多くは、そのまま使えるのです。

この順番を踏まえて、四つの柱を見ていきましょう。最初の柱が"土台"で、残りがその上に積み上がる構造になっています。

### 柱①【土台】ゆるめて、人間本来の身体を取り戻す

すべての土台が、これです。不要な力みを手放し、体の奥——表面の筋肉だけでなく、深層のこわばり——からゆるませていく。前回の言葉で言えば、「固定する体」をやめて「骨で動く体」へ戻ること。赤ちゃんが持っていた、構造のままに動けるしなやかな体。動物が当たり前に使っている、全身がつながった体。それを"新しく手に入れる"のではなく、"取り戻す"——ここが出発点です。

力んだ体は、アクセルとブレーキを同時に踏んだ状態でした。この状態では、動きが遅くなるだけでなく、脳からの操作指令が体に届かず、自分の動きを感じ取ることもできません。ゆるみは、指令の通り道であり、感覚の通り道。土台と呼ぶ理由が、ここにあります。

### 柱② 可動域を意識する——キャンバスを広げる

土台がゆるみ始めると、次に効いてくるのが可動域です。股関節と胸椎という要所が、そもそも動くこと。可動域は、いわば動きのキャンバスの大きさ。狭いキャンバスには、大きな絵は描けません。そして実は、可動域を狭めている犯人の多くも、柱①の"無意識の緊張"です。ゆるむほど、関節は本来の設計どおりの範囲を取り戻していきます。

### 柱③ 身体操作を意識する——「感じる力」を育てる

ここが、つくられた天才の核心です。専門的には固有受容感覚(こゆうじゅようかんかく)と呼ばれる感覚があります。これは、目で見なくても「今、自分の腕がどこにあるか」「関節がどれくらい曲がっているか」を感じ取る、体の内側のセンサーのことです。

無自覚の天才は、このセンサーが生まれつき優秀です。でも朗報があります——この感覚は、意識的に使うことで、後天的に磨けるのです。泳ぎながら「今、肩甲骨はどう動いた?」「入水の瞬間、手のひらは水をどう感じた?」と、自分の内側に問いかける。この"感じようとする意識"の反復が、眠っていたセンサーの感度を上げていきます。身体操作を意識するとは、この内側の対話を続けることに他なりません。

### 柱④ 神経系のトレーニング——動きは「筋肉」でなく「回路」で覚える

最後の柱が、神経系のトレーニングです。ここは少し深く説明します。

私たちは「動きを筋肉で覚える」と思いがちですが、より正確には、動きは神経の"回路"として脳と体に刻まれます。ある動きを繰り返すと、それを司る神経の通り道が使われ、少しずつ通りやすくなる。やがて、いちいち考えなくてもその動きが出せるようになる——これが「体で覚えた」の正体です。

さらに、運動を繰り返すうちに、脳(特に小脳という部位が関わるとされます)の中に、その動きの"予測モデル"のようなものが育っていきます。「こう動かせば、体はこう動くはずだ」という内部の見通しです。熟練者の動きがなめらかで、いちいち修正が要らないのは、この予測モデルが精密だからだと考えられています。

ここで大事なのは、質の悪い動きを繰り返せば、質の悪い回路が強化されてしまう、という点です。力みっぱなし、末端頼りの動きを何千回反復しても、それが上手に固定されるだけ。だからこそ、柱①〜③(ゆるんだ本来の身体・可動域・身体操作の意識)を整えたうえで、"良い動き"を丁寧に反復することが、神経系トレーニングの要になります。数をこなす前に、一回一回の質を問う。「速くたくさん」より「正しくていねいに」が、回路づくりの原則です。

「意図的な練習」という考え方

この四つの柱を貫く姿勢を、ひとつの言葉でまとめておきます。意図的な練習(deliberate practice)という考え方です。

これは、ただ時間をかけて反復する練習とは違います。明確な目的を持ち、今の自分の課題に的を絞り、一回ごとに「今のはどうだったか」を自分で評価しながら行う練習のこと。漫然と100本泳ぐより、「今日は入水の瞬間の脱力だけに集中する」と決めた30本のほうが、動きの質を変えます。

無自覚の天才は、これを"無意識に"やってしまえる人たちです。でも、私たちのようにそうでない人間は、意識的にこれをやればいい。意識的な意図的練習の積み重ねが、暗黙知を形式知へと翻訳し、崩れない天才をつくっていきます。時間の長さではなく、意識の density(濃さ)が、動きを変えるのです。

今日からできる、天才づくりの第一歩

長い理論の旅でしたが、最後は今日からできる、ごく具体的な一歩を。

自分の"得意な動き"をひとつ選んで、「なぜうまくいくのか」を言葉にしてみてください。

たとえば、あなたが自由形のキャッチが得意だとします。では、なぜ得意なのか? 「なんとなく」で終わらせず、掘ってみる。「入水のあと、少し待ってから水をとらえているかもしれない」「肘の位置が…」——言葉にしようとすると、意外と説明できないことに気づくはずです。

その、言葉にできなかった部分こそが、あなたの暗黙知です。そして——言葉にできない部分の隣に、次の伸びしろが眠っています。説明しようと試みること自体が、暗黙知を形式知へ翻訳する作業の始まりであり、天才づくりの第一歩なのです。

逆に、苦手な動きについては「なぜうまくいかないのか」を言葉にしてみる。原因が言葉になった瞬間、それはもう"漠然とした苦手"ではなく、"取り組める課題"に変わっています。

ただし、ひとつだけ忘れないでください。その問いが体に届くのは、ゆるんだ体があってこそです。力んだままの体は、どれだけ正確な言葉も受け取れません。前回の「肩ストン」で土台をひと呼吸つくってから、問いを持って泳ぎ出す——この順番だけは、崩さずに。

おわりに——天才をつくる旅は、「取り戻す」旅

最後に、いちばん大切なことを。

「動きの天才をつくる」と聞くと、何か新しい能力を外から獲得していく旅に思えるかもしれません。でも、ここまで読んだあなたには、もう見えているはずです。この旅は、獲得の旅ではなく、"取り戻す"旅です。

力みのない身体の使い方。身体の奥からゆるんでいく感覚。赤ちゃんのころ、誰もが持っていたしなやかな体。動物として、人間が本来そなえているはずの、全身がつながった体。——それらを一枚ずつ取り戻していった先で、頭に描いたイメージがすっと体に通るようになる。そのとき、あなたの中の「わかる」と「できる」の溝は埋まり、動きは自由になっていきます。

天才は、遠くにいるのではなく、あなたの体の奥に眠っています。 つくるとは、掘り起こすこと。

今日の一本、まずは肩の力を「ストン」と抜くところから。取り戻す旅は、いつでも、そこから始められます。

出典・参考:暗黙知/形式知はマイケル・ポランニー『暗黙知の次元』に由来する概念。運動学習・神経系の適応(固有受容感覚、小脳の内部モデル、協調性)、意図的な練習(deliberate practice, K.A.エリクソン)は運動科学・スポーツ心理学の一般的知見。「脱力」「骨で動く」は高岡英夫氏の身体観(一つの考え方として紹介)。個々の記述は特定研究の断定ではありません。
※ この記事は一般的な知見や公開情報をもとにした読みものであり、医療上の助言ではありません。体に不調があるとき、トレーニングを大きく変えるときは、指導者や専門家にご相談ください。
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