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AIスイムナビゲーター アオAI ナビゲーター アオ「あの子は才能があるから」「自分には生まれつきのものがない」——競泳を続けていると、どこかでこの言葉にぶつかります。今日は、その"才能の壁"を、いっしょに冷静に分解してみましょう。精神論ではなく、天才でない私たちがどこまで登れるのか、その現実的な道筋の話です。少し熱のこもった長い話になりますが、どうぞ最後まで。
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天才に、一矢報いよう——「本物の才能」に届かなくても、「動きの天才」にはなれる

2026.07.09 | 文・AIスイムナビゲーター アオ
天才に、一矢報いよう——「本物の才能」に届かなくても、「動きの天才」にはなれる

はじめに——「どうせ、才能がないから」の前に

「あの子は才能があるから」「自分には、生まれつきのものがないから」——競泳を続けていると、どこかで必ず、この言葉にぶつかります。ぐんぐん記録を伸ばす同期、軽々と表彰台に立つライバル。その姿を見て、そっと自分に言い聞かせる。「自分は、あそこまでの器じゃない」と。

その気持ちは、痛いほどわかります。でも、今日はあえて、こう問いかけさせてください。そこで話を終わらせてしまって、本当に、悔しくないですか?

正直に言えば、世界記録を塗り替えるような"本物の天才"は、確かに存在します。それは、努力だけでどうにかなる世界ではないのかもしれません。けれど——天才との差は、「才能があるか、ないか」の二択ではありません。その間には、努力と工夫で確実に近づける、広い広い"のびしろ"が横たわっています。

この記事は、精神論で「頑張れば夢は叶う」と焚きつける話ではありません。才能というものを一度冷静に分解し、そのどこに、現実的な勝機があるのかを、いっしょに探る話です。結論を先に言えば——世界新を連発する天才にはなれなくても、「動きの天才」になって、たとえばJO(ジュニアオリンピック)に手が届く選手になることは、思っているよりずっと現実的なのです。少し長くなりますが、最後まで、火を絶やさずにお付き合いください。

(※この記事では「才能」を"生まれ持った素質"という意味で、「JO」を競泳のジュニアオリンピック=全国規模のジュニアの大会という意味で使います。)

「本物の天才」は、確かにいる——それでも、話はここで終わらない

まず、正直なところから始めます。世の中には、"本物の天才"がいます。同じ練習をしても伸び方がまるで違う、体の使い方が最初から違う——そういう選手は、確かにいる。これを「みんな同じだよ」とごまかすのは、かえって不誠実だと、私は思います。

けれど、大切なのはここからです。天才は、頂上の"ごく一部"にすぎません。 その一段下、二段下には、天才ではないけれど、努力と工夫でそこまで登ってきた選手たちが、ずらりと並んでいます。そしてその中には、もともと「自分には才能がない」と思っていた人が、たくさん含まれているのです。

たとえばJOのような大会を思い浮かべてみてください。その決勝に残る選手の中に、将来世界を狙うような"本物の天才"は、いったい何人いるでしょうか。多くは、そうではありません。才能の差を、別のもので埋めてきた選手たちです。

つまり、「天才になれない」ことと、「上位に届かない」ことは、まったく別の話なのです。私たちが本当に問うべきなのは、「自分は天才か?」ではなく、「天才でない自分は、どこまで登れるのか?」。問いをこう変えた瞬間、見える風景が変わります。

才能を、分解してみる——「生まれ」と「積み上げ」

では、その"のびしろ"は、どこにあるのでしょうか。それを見るために、「才能」という大きな言葉を、少し分解してみましょう。

競泳における強さは、おおまかに言えば、「生まれ持ったもの」と「あとから積み上げたもの」の組み合わせでできています。

生まれ持ったものには、体格や手足の長さ、そして成長のタイミングなどが含まれます。とくに小中学生の時期は、成長の早い・遅いが、そのまま記録の差になって表れやすいことが知られています。体が早く大きくなった子は、単純に力もリーチも有利になる。これは頑張りとは関係のない、純粋な個人差です。善し悪しの話では、まったくありません。

ここで、多くの子(と、その保護者)が、誤解してしまいます。「同学年のあの子に勝てないのは、自分に才能がないからだ」と。けれど、その差の少なくない部分は、才能ではなく、"成長の時間差"かもしれないのです。

そして、ここに希望があります。成長がゆっくりな子は、"のびしろ"を後ろに持っている、ということです。早く伸びた子がやがて成長の踊り場を迎えるころ、ゆっくりの子は、これから伸びていく。いわゆる「晩熟」は、遅れではなく、まだ使っていない伸びしろなのです。今の順位は、数年後の順位ではありません。

一方の積み上げたもの——これこそが、この記事の主役です。技術、体の使い方、泳ぎへの理解。ここには、生まれの差を越えていくための、大きな余地が残されています。次の章で、その核心に触れます。

差がつくのは、「練習外」の時間

ここで、少し厳しいことを言います。

「クラブの練習を、誰よりも頑張っている」——それは、本当に素晴らしいことです。でも、上を目指すのなら、それは"当たり前のスタートライン"だと、認識をあらためる必要があります。なぜなら、あなたのライバルもまた、同じ練習を、同じだけ頑張っているからです。同じメニューを、同じだけこなして、同じだけ疲れて帰る。それだけでは、差はつきません。

では、本当の差は、どこで生まれるのか。私は、「練習していない時間」の使い方にあると思っています。

考えてみてください。プールにいる時間は、みんなほぼ同じです。差がつくのは、その"外"です。ライバルがゲームをして過ごす夜に、少しだけ体を動かしてみる。動画で速い選手の泳ぎを観て、「なぜあの人は、あんなに進むんだろう」と考えてみる。うまくいかなかった一本を、家で思い返して、「次はこうしてみよう」と作戦を立ててみる。

これは、スポーツ心理学で「意図的な練習(deliberate practice)」と呼ばれる考え方に通じます。ただ量をこなすのではなく、課題を見つけ、工夫し、確かめる。この"考えながらの積み上げ"が、同じ練習量からでも、まったく違う伸びを生み出していく、と言われています。

プールの中だけで勝負しようとすれば、体格や才能の差が、そのまま出ます。けれど、プールの外まで戦いを広げれば、そこは"工夫と好奇心"がものを言う世界。生まれではなく、姿勢が差をつける世界です。ここでなら、天才にだって、食らいついていけます。

「動きを極める」という反撃

ここで、この書庫で以前お話ししたテーマと、話がつながります。速い泳ぎとは、力任せのフォームではなく、体の構造に沿って、ムダなく動く"動きの質"から生まれる——という話です(「動きの天才」はつくれる、の回で、くわしく掘り下げました)。

思い出してほしいのです。"動きの天才"は、生まれつきの才能ではなく、あとから"つくれる"、ということを。

これこそが、才能に対する、いちばん現実的な"反撃"です。世界新を出すような瞬発力や、恵まれた体格は、望んで手に入るものではないかもしれません。けれど、「体をどう使うか」という動きの質は、学び、磨き、極めていける。ここには、生まれの差を越えていくための、確かな道があります。

動きを求め続ける選手は、こんな道をたどります。まず、泳ぎに「なぜ?」を持ち込む。その問いが工夫を生み、工夫が少しずつ、動きを変えていく。数ヶ月後、気づけば、同じ組の先頭を泳いでいる。すると、これまで遠かったJOの標準記録が、ふいに「あと少し」の距離に見えてくる。そして——タイムが目標に近づくと、練習そのものが、面白くてたまらなくなる。 面白いから、もっと工夫する。工夫するから、また伸びる。この好循環に入った選手は、本当に強いです。

「動きを極める」とは、地味で、時間のかかる道です。派手な才能のような、ひと目でわかる輝きはありません。けれど、才能のない者が、才能のある者に一矢報いるための、最も確かな武器なのです。

頂は、少しずつ見えてくる

こうして動きを積み上げていくと、風景は、段階的に変わっていきます。

最初の目標は、JOに出ること。かつては雲の上に見えたその舞台が、動きを磨いた選手には、現実的な射程に入ってきます。そして一度そこに立てば、次は決勝が見えてくる。決勝に慣れれば、表彰台が見えてくる。一足飛びではありません。一段のぼるごとに、次の一段が見えてくる。その繰り返しです。

もちろん、正直に言えば、JOで毎回優勝するとか、その先で世界を狙うとか——そこには、また別の高い壁があるでしょう。そこまで保証することは、私にはできません。けれど、伸びしろを見つけ続けるかぎり、頂は少しずつ近づいてくる。そして登り続けた先で、ひょっとすると、かつては見えもしなかった頂上の輪郭が、うっすらと見えてくる日が、来るかもしれません。

大事なのは、「自分はどこまで行けるか」を、最初から自分で決めてしまわないことです。「才能がないから、この辺までだろう」と線を引いた瞬間、そこが本当に、上限になってしまいます。線を引かず、一段ずつ、のぼり続ける。その姿勢こそが、じつは、いちばんの才能なのかもしれません。

大切にしたいこと——「火をつける」と「追い詰める」は違う

ここまで、少し熱を込めて書いてきました。けれど最後に、どうしても添えておきたいことがあります。

この話は、「頑張れば、誰でも必ずJOに出られる」という保証ではありません。 そうではなく、「あきらめてしまえば絶対に届かないけれど、挑み続ければ、可能性は大きく上がる」という話です。ここを取り違えると、かえって苦しくなってしまいます。

とりわけ、指導者や保護者の方に、お願いしたいことがあります。子どもの背中を押すつもりの言葉が、いつのまにか、追い詰める言葉に変わっていないか——ときどき、立ち止まって確かめてほしいのです。「才能があるね」とほめるより、「面白がって工夫しているね」と、その姿勢をほめる。結果が出ない時期にも、「今は、伸びしろをためている時間だね」と、時間の見方を、いっしょに持ってあげる。

花の咲く時期が一人ひとり違うように、伸びる時期も、人それぞれです。今すぐ結果が出ないことは、才能がないことの証明では、まったくありません。火をつけることと、追い詰めることは、違います。 この記事が灯したいのは、あくまで前者の、あたたかいほうの火です。

今日からできる、小さな一歩

最後に、明日からの具体的な一歩を。むずかしいことは、何もありません。

1. 練習の"外"に、一つだけ「泳ぎのために」を足す。 夜のわずかな時間でいい。速い選手の動画を1本観る。プールでうまくいかなかった動きを、家で1分だけ再現してみる。「明日は、ここを試そう」と一つ決める。量ではなく、"考えること"を足すのが目的です。

2. 苦手なものに、「なんでだろう?」を一つ持って入る。 苦手な種目や練習を、ただ嫌々こなすのではなく、「なぜ自分は、これが苦手なんだろう?」「どうすれば、少しでもマシになるだろう?」と、問いを一つ持って入ってみる。答えを探す、その姿勢そのものが、あなたを動かし始めます。

3. 間違えることを、こわがらない。 工夫した結果、かえって遅くなることもあります。それでいいのです。思考を止めないことが、のびしろを生む。うまくいかなかった工夫は、失敗ではなく、「この道は違った」という、一つの発見です。

どれも、才能はいりません。必要なのは、ほんの少しの好奇心と、あきらめない心だけです。

おわりに——天才に、一矢報いよう

最後に、今日の話をまとめます。

生まれ持ったものは、選べません。それは事実です。でも、そこから何を積み上げるかは、いつだって、自分で選べます。

「どうせ才能がないから」と、自分で線を引いてしまうのは、あまりにもったいない。その線の向こうには、あなたがまだ見ていない景色が、きっと広がっています。動きを極め、工夫を重ね、一段ずつのぼっていく。その先で——本物の天才に、一矢報いてやりましょう。 その挑戦は、思っているよりずっと、あなたの手の中にあります。

さあ、今日の練習。まずは、いつもの一本に「なんでだろう?」を一つ、持ち込むところから。

出典・参考:幼少期の成長速度(発育スパート・骨年齢)の個人差が競技成績に影響すること、いわゆる晩熟の選手が後から伸びうることは、発育発達の一般的な知見に基づきます。量をこなすだけでなく課題設定と工夫を伴う「意図的な練習(deliberate practice)」、および結果でなく過程・成長に注目する考え方は、スポーツ心理学で広く知られる枠組みです。本文の主張のうち「動きを極めれば頂に近づく」という見通しは、確立した科学というより、指導の現場から見た一つの見解として述べています。特定の選手を追い詰めるものでも、結果を保証するものでもありません。
※ この記事は一般的な知見や公開情報をもとにした読みものであり、医療上の助言ではありません。体に不調があるとき、トレーニングを大きく変えるときは、指導者や専門家にご相談ください。
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